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書評:『行動経済学が解き明かす 自滅する選択』

書評
  • タイトル:行動経済学が解き明かす 自滅する選択
  • 著者:池田新介
  • 出版社:日経ビジネス人文庫

「わかっているのに、ついやってしまう」

ダイエット中の暴飲暴食、仕事の先延ばし、ギャンブルへの依存。誰しも一度は経験したことのある、自分の利益にならない選択の数々です。

本書は、そうした”自滅する選択”がなぜ起きるのかを行動経済学の理論から丁寧に解き明かし、私たちがどう向き合えばよいのかを考えさせてくれる一冊です。

キーワードは「双曲割引」

本書を貫くキーワードが「双曲割引」です。これは、目先の利益(不利益)を、遠い先の利益(不利益)よりも大きく評価してしまう心理的なバイアスを指します。

この背景にあるのが「時間割引率」という概念です。時間割引率とは、将来の満足を期間当たり何パーセント割り引いて評価するかを示す、いわば「せっかちさ」の度合いを表す数値です。ただし、時間割引率が高いこと自体は「現在を強く好む」という性質にすぎず、それだけでは非合理的な行動とは言えません。

本書によれば、自滅的選択とは、この時間割引率が一定に定まらず、遠い将来には忍耐強くいられるのに、目先のことになると途端に我慢できなくなるという”クセ”から生じるものだといいます。

せっかく長期的な視点で計画を立てても、いざ誘惑を目の前にすると、その場限りの都合のよい行動に流されてしまう。この「選好の逆転(心変わり)」こそが、自滅する選択を招く正体だという指摘は、非常に腑に落ちるものでした。

符号効果・フレーミング効果・マグニチュード効果

本書では、双曲割引以外にも興味深いバイアスがいくつも紹介されています。

  • 符号効果
    利益は将来のものだと大きく割り引かれる一方、損失は将来のものであっても現在とほぼ同じ重みで受け止められる現象です。「得よりも損の方が重く感じられる」という損失バイアスが背景にあり、「手数料なし」という謳い文句がこの効果を打ち消すビジネス上の工夫だという具体例付きで説明されています。
  • フレーミング効果
    人は物事そのものの価値ではなく、無意識に設定した「参照点」との比較で、得か損かを判断します。同じ選択肢でも、示され方(文脈)次第で評価が変わってしまうというものです。
  • マグニチュード効果
    金額や価値が大きくなるほど人は忍耐強くなり、割引率が下がる現象です。小口ローンの金利が高く設定されがちなのは、この効果の裏返しだと考えると納得できます。

このほかにも、満足度が右肩上がりに高まっていく展開を好む「改善列への選好」や、将来の楽しみを想像するだけで今の満足度が上がる「予想からの快楽」など、日常のさまざまな場面に応用できる知見が並んでいます。

「賢明」な人と「単純」な人

本書でもう一つ印象的だったのが、双曲割引の影響を受ける人を「賢明」な人と「単純」な人に分類している点です。

「賢明」な人は、将来の自分の忍耐力が今より弱まることをあらかじめ正しく予想できる人です。

一方「単純」な人は、そのことを予想できず、「今の自分は緩いけれど、明日の自分はきっとブレないしっかり者だ」という都合のよい幻想を抱いたまま、計画をドミノ倒しのように次々と先送りしてしまいます。

興味深いのは、最新の研究によれば人間の脳はお金の計算こそ理性的にできても、目の前の快楽や面倒な作業への耐性は驚くほど脆弱だとわかっている点です。

つまり、私たちが先延ばしや誘惑に負けてしまうのは、単に「意志が弱いから」ではないというわけです。この指摘には、自分を責めがちな人ほど救われる思いがするのではないでしょうか。

本書が示す興味深い事例の一つが、米国のフードスタンプ受給世帯における食料消費のデータです。給付日に最もカロリー摂取量が高くなり、そこから日を追うごとに徐々に低下していくという傾向が観察されており、目先の消費を優先してしまう「単純」さの現れとして紹介されています。

では、こうした自滅する選択を防ぐにはどうすればよいのでしょうか。本書が提示する処方箋は、「将来の緩い自分」をあらかじめ織り込んだ計画を立てることです。具体的には次の二つのアプローチが挙げられています。

  1. コミットメント手段を用いて、あらかじめ自分の手を縛る
    計画期間や活動期間を短く区切ることで、消耗しやすい意志力や認知能力の負担を減らします。
  2. 意志力を効率的に使える環境で選択を行う
    本能や衝動性に流されにくい環境を選ぶことも、一つの有効な工夫です。

コミットメント手段には、法律や契約に基づく「外的なコミットメント」と、目標を人に語る、図書館で作業する、クレジットカードを持ち歩かないといった「内的なコミットメント」の二種類があります。著者によれば、後者の内的なコミットメントは自分の意思力と自主性に依存する分、うまく機能すれば自己シグナリングとなり、自分の意志力そのものへの自信を深めることにもつながるといいます。

さらに本書では、強制することなく選択の枠組みを工夫するだけで人々の行動によい変化を促す「リバタリアン・パターナリズム」という考え方も紹介されています。

「オプトイン」「オプトアウト」「能動的選択」といった仕組みも、この発想の延長線上にあるものです。個人の意志の力だけに頼るのではなく、選択肢を制限するような環境そのものを設計する視点は、組織のルール作りや制度設計にもそのまま応用できる示唆に富んでいます。

本書は、「なぜ人はわかっていながら自分に不利益な選択をしてしまうのか」という素朴な疑問を、行動経済学の理論を用いて丁寧に解き明かした一冊です。

単に「意志が弱いから」という精神論で片づけるのではなく、「双曲割引」「時間割引率」「符号効果」といった具体的な概念を通じて、私たちの選好そのものが状況によって揺れ動くメカニズムを解説してくれる点に、本書ならではの価値があります。そして、その対策として「コミットメントの利用だけでは不十分であり、あらかじめ選択肢を制限する環境設計が不可欠」だと説く姿勢は、精神論に終わらない実践的な処方箋として説得力があります。

ダイエット、貯蓄、仕事の先延ばしなど、身近な”自滅する選択”に心当たりのある方はもちろん、部下や組織のマネジメントに携わる方にとっても、人がなぜ非合理な行動を取ってしまうのかを理解するための良い手引きとなる一冊だと感じました。

本書は、専門用語や数式を用いた理論的な説明も多く、じっくり腰を据えて向き合う必要のある一冊です。自分自身の行動を理性的に見つめ直すきっかけを与えてくれる内容には十分な読み応えがあり、時間をかけて読む価値のある一冊としておすすめします。


行動経済学が解き明かす 自滅する選択 (日経ビジネス人文庫)
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