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書評:『菜根譚』―400年を超えて響く、心の在り方の教科書

書評
  • タイトル:菜根譚
  • 著者:洪自誠(著)
  • 訳注:中村璋八・石川力山
  • 出版社:講談社(講談社学術文庫 742)
  • 発行:1986年6月

「論語」は知っていても、「菜根譚」という名前にはあまり馴染みがないという方も多いのではないでしょうか。私もそうした一人でした。

本書を手に取ったきっかけは、「菜根譚を読んでいる経営者が多い」という話を耳にしたことです。

松下幸之助氏や田中角栄氏が愛読していたことで知られていますが、調べてみると、東急グループの創始者・五島慶太氏に至っては、みずから愛読するだけでは足らず、『ポケット菜根譚』という本まで執筆されていたようです。「事業の鬼」と呼ばれ、激しい買収劇を繰り広げた実業家が、なぜこれほどまでに本書に傾倒したのでしょうか。

本書は、中国・明代の洪自誠が著した人生指南の書です。儒教・仏教・道教という三つの教えを融合させた、全357条の短い対句形式からなる随筆集で、書名の「菜根」は、「堅くて筋の多い菜(野菜)の根をよく咬みうる者こそ、ものの真の味わいを知る人物である」という意味に由来しています。

論語が「社会における規範、いかに正しく振る舞うべきか」を説くのに対し、菜根譚は「個人の悩みや逆境に寄り添う内容」となっています。そこが本書の大きな特徴であり、400年以上を経た今なお読まれ続ける理由の一つではないかと思います。

本書は全357条と内容が豊富なため、ここでは特に心に残った条をいくつかご紹介したいと思います。

前集52:忘れてはならないことと、忘れなければならないこと

我、人に功有るも、念うべからず。而るに、過たば則ち念わざるべからず。人、我に恩有らば、忘るべからず。而るに、怨みは則ち忘れざるべからず。

解説:
自分が他人に何かをしてあげたとしても、そのことを心に留めておいてはいけない。しかし、他人に迷惑をかけたならば、そのことを忘れてはいけない。また、他の人が自分に対して恩義を与えてくれたら、そのことを忘れてはいけない。しかし、他人に対する怨みはいつまでも覚えておかずに、忘れ去るようにしなければいけない。

功績は手放し、失敗は胸に刻む。恩は忘れず、怨みは捨てる。

頭では理解できても、なかなか実践の難しいことばかりです。怒りや恨みの感情がいかに長く、強く心に残るものかを、日々の生活の中で実感している方も多いのではないでしょうか。

こう在りたいと改めて考えさせられた一節です。

前集54:人間に順・不順はつきもの

人の際遇は、斉なる有り、斉ならざる有り。而して能く己をして独り斉ならしめんや。己の情理は、順なる有り、順ならざる有り。而して能く人をして皆順ならしめんや。此れを以て相観し対治するも、亦是れ一の方便の法門なり。

解釈:
人間の身の上というものは、満足できる状態もあり、満足できない状態もある。であるから、どうして自分ひとりだけいつも満足できるような状態を望めようか。
また、自分の心情の動きというものは、平穏な状態もあり、乱れる状態もある。であるから、どうして他人にだけいつも平穏な状態でいることを望めようか。
以上の例から、斉・順と不斉・不順の双方があることをよく理解して、自分自身の迷いを正すということも、人生における真実の生き方の一つである。

「浮き沈みは当たり前」と頭でわかっていても、ついつい自分を棚に上げ、他人には平穏な状態を前提とした接し方をしてしまいがちです。相手の心情に配慮することの大切さを、改めて胸に刻んだ一節でした。

前集118:安きにおりて驕らず、逆境にもめげず

衰颯の景象は、就ち盛満の中に在り、発生の機緘は、即ち零落の内に在り。故に君子は、安きに居りては宜しく一心を操りて以て患を慮るべく、変に処りては当に百忍もを堅くして以て成るを図るべし。

解釈:
物事が衰える兆候は、盛んで満ち足りているなかにあり、新しい芽生えのはたらきは、草木の葉が枯れ凋んだ状態の中にすでに伏在している。だから君子たる者は、心配のない状況にある時には、本心を堅く守って、いったん事が起こった場合のことを考えておき、不時の災難に遭遇した時には、忍耐に忍耐を重ねて、難を逃れ、事が成就することを計るべきである。以上の例から、斉・順と不斉・不順の双方があることをよく理解して、自分自身の迷いを正すということも、人生における真実の生き方の一つである。

まさに「禍福は糾える縄のごとし」で、仕事でも私生活でも、油断なく備え、そして逆境に折れない心の大切さを改めて実感した一節です。

良い時こそ気を引き締め、悪い時こそ希望を失わない、という姿勢はどの時代においても変わらない普遍的な知恵だと思います。

前集147:反省はおのれを養い、叱責はおのれを傷つける

己を反みる者は、事に触れて皆薬石と成り、人を尤むる者は、念を動かせば即ち是れ戈矛なり。一は以て衆善の路を聞き、一は以て諸悪の源を濬くす。相去ること霄壤なり。

自分の言行を反省する人は、あらゆることがらにふれると、それがすべて自分自身の良薬となるし、人の過失を責めとがめる人は、心を動かすごとに、それがすべて自分を傷つける刃物となる。
前者の場合は、多くの善行を積む路を開くことになり、後者の場合は、多くの悪事を重ねる源を深くすることになる。両者の違いは天と地ほどの雲泥の差がある。

これは仕事の場というよりも、家庭の中でこそ活かされる教えのように感じました。

身近な人間関係において、反省と叱責のどちらに重心を置くかで、その後の関係がまったく変わってきます。家庭円満の秘訣にもつながる一節かもしれません。

後集87・108:心の持ち方が現実を変える

後集では、「精神が充実していれば、粗末な暮らしの中でも天地の調和した元気を感じ取ることができる」(後集87)、「人生の幸・不幸はすべて自分の心の持ち方によって生まれる」(後集108)という言葉が印象に残りました。

神、酣ならば、布被の窩中にも、天地の冲和の気を得。味、足らば、藜羹の飯後にも、 人生の澹泊の真を識る。 

解釈:
もし精神が充実していたならば、たとえ布で作った粗末な夜具に寝るような貧乏な暮らしの中でも、天地の調和した元気を得ることができる。また、味覚に満足していれば、 あかざのあつものを吸うような粗末な食事をしながらでも、人生のあっさりとした真実を味わうことができる。

人生の福境禍区は、皆念想より造成す。故に釈氏云う、「利欲に熾然ならば、即ち是れ火坑なり、貪愛に沈溺せば、便ち苦海と為る。一念清浄ならば、烈焰も池と成り、一念警覚せば、船も彼岸に登る」と。念頭稍異ならば、境界は頓に殊なる。慎しまざるべけんや。

人の一生の幸不幸の境涯の区別は、すべてその人自身の心が作り出したものである。 だから仏教でも、「利益や欲望の心が火のようにさかんに燃えると、その人生はあたかも焦熱地獄のように思われ、貪欲や執着におぼれ沈むと、その人生はさながら救いのない苦海のように思われる。現在の一刹那の心さえ清浄になれば、燃えさかる炎も涼しい池にかわり、むさぼる心もいったん目ざめると、苦海を渡る船も悟りの彼岸にたどりつく」と説いている。 このように、心の持ち方がほんの少し変わっただけで、不幸であるという立場がたちまち幸福に変わってしまう。よくよくつつしむべきである。

物事の受け止め方は、心の向き次第でプラスにもマイナスにもなる。これは現代の心理学やマインドフルネスの考え方とも通底するものがあり、古今を問わず人間の本質に根ざした普遍的な知恵だと感じます。

菜根譚の教えを要約するならば、「寛容であれ、公正であれ、謙虚であれ。人を貶めたり憎むのはよせ。何事も行き過ぎはダメ。欲をかきすぎるな。良い時ほど気をつけろ。冷静・平静であれ」──そのような、心のありようを説いた言葉の集積です。

「処世術」として紹介されることもありますが、その内容はいわゆるテクニック論とは一線を画しています。どちらかといえば、人として如何に在るべきかという、内面の哲学を問う内容です。達観しているとも言えますが、誰もが共感できる普遍性を持っているのが本書の強みでしょう。

また、本書は読むたびに、また読む時の自分の心理状態によって、気に留まる一節が変わります。同じ一節でも感じ方が異なる点が、『菜根譚』という書の懐の深さだと思います。

本書は、人生に行き詰まりを感じている時、逆境の中にある時、あるいは順境にある時にこそ手に取ってほしい一冊です。

400年以上前に書かれた古典でありながら、その言葉の一つひとつは現代に通じるものがあります。漢文の原文と丁寧な訳注が付されており、専門家でなくとも理解しやすい構成になっているのも、講談社学術文庫版の魅力です。

何かの「答え」を与えてくれる本ではありません。ただ、自分の心の在り方を問い直す鏡として、何度でも読み返したくなる一冊です。

ビジネス書に疲れた時、あるいは人間関係で悩んでいる時に、手に取ってみてください。

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